子どものころ住んだ家、小さくて古くて暗い家だった。だけど、そこには家族がいてわたしが帰る場所だった。それ以上でも、それ以下でもない。子どものころの家。
友だちを迎えに行ったとき、うちよりずいぶん家らしい家だった。中には入らなかったけれど、外観の佇まいや玄関の雰囲気でなんとなく、家の中やそこでの暮らしまでイメージできるような気がした。
もし、この家に自分が住んだら、どんな毎日を過ごすのだろう・・どんなことを感じながら過ごすのだろう・・そんなことを想像していた。
住むということを想像すると、その先に少し具体的な感覚に触れることができる。それは頭での理解ではなく、身体や心を通した感情的な感覚・・
さらにイメージを深めていくと、そこで過ごす日々の感覚のイメージは、人の一生、生き方みたいなところまで届くような気がしてくる。
そんな子どものころの記憶が、どれぐらい今に影響しているのか定かではないけれど・・
住むということを通して、生きることを見つめ、生き方に照らして、住むということを思うようになったのは、子どものころのそんな性質がもとになっているのかもしれない。
だけどそれは、わたしだけではなくて、子どもは、大人よりもっと感覚的で本能的に住まいを感じているような気がしている。
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